日本の本州ど真ん中に位置する、長野県小川村。「日本で最も美しい村」連合に加盟されているこの村は、大豆の生産と長野県の郷土料理「おやき」が有名な村だ。
粘土質の土地からできる大豆は、食べた時にほんのりと甘味を感じることができる「西山大豆」というブランド豆。村内の加工所で作られた豆腐や醤油、豆腐が道の駅で売られている。
星がよく見え、アルプスの眺めが絶景の小川村には、食の豊かさと四方をぐるりと山に囲まれた自然を求めて移り住んでくる移住者が多い。
そんな2400人ほどが暮らす小川村に、現在農業を営む夫の悠介さんと4年前に移住し、ケーキ作りを始めた伊藤千世子さんの移住までの経緯とケーキ作りへの思いをうかがった。
東京でパン職人、ボディセラピストを経験
秋田県で生まれ育った千世子さんは、小さい頃からお菓子作りが大好きだった。高校卒業後上京し、辻製菓専門学校に1年通い、卒業後はパン屋に就職する。
しかし、2年半ほどで退職。
「同じ様な毎日が続き、少し違う世界を見たくなったんです」
千世子さんは2年半勤めたパン屋を辞め、ボディセラピストに転職。ボディセラピストとして7年半勤務し、その後トレーナーに転職、4年半働いた。
「 手を使う仕事をしたい」という思いがずっとあった千世子さん。
「パン屋とボディセラピスト、一見まったく違うように見える職業ですけど「手を使う仕事」という意味では共通点があります。体は食事から作られるもの。どちらも私にとっては関心のあることで、ボディセラピストはやりがいのある仕事でした」
最後に務めたトレーナーとして勤務していた職場で、夫の悠介さんと出会い、結婚。
東京の環境に違和感を感じ始める
結婚前に東京で同棲していた2人は、結婚を機に東京を離れ、海の近くで暮らしたかった悠介さんの希望で、神奈川県の海辺の近くに引っ越す。
鎌倉にもアクセスがよく庶民的な街、自然もあり東京とは全く違う環境だった。
結婚当初、夫の悠介さんと千世子さんは都心に勤務。しかし、この頃から千世子さんの中で、都会で働くことに疑問を抱くようになる。
「自然がより近くに感じられる場所で暮らしはじめると、東京にはない人の優しさや違いを感じる様になりました。自然の暖かさに気づくと同時に、だんだん都心に出勤することが嫌になっていきました」
千世子さんは東京での生活に、モヤっとしながらも当時は田舎暮らしをする予定は全くなかった。一方、 悠介さんも、ストレッチのトレーナーとして独立したいと思っていたそうだ。
人生の転機 夫悠介さんが農業を継ぐ決意
稲刈り中の悠介さんとお父さん
悠介さんのお父さんは、元農業高校の先生。「家族のために安心なものを作りたい」という思いから、55歳で早期退職し専業農家になった。 当時、悠介さんのお父さんは「息子に農業を継いでほしい」とは言葉にはしなかったそうだ。
「主人のお父さんは「自分で決めたことをするのが一番だ」と。主人も農業を手伝いたいという思いはあった様ですが、継ぐつもりなどは全くなく「忙しい時期にだけ手伝えたらいいかな」くらいに思っていたみたいです」
そんな2人の生活に、突然転機が訪れる。
「お父さんが事故にあった」という知らせをうけたのだ。九死に一生を遂げたが、お父さんの事故がきっかけで、悠介さんはある決断をする。
「おやじがいなくなってしまったら、いいものが途絶えてしまう。農業を継ごう」
お父さんの事故の一週間後、悠介さんは農業を継ぐことを決意した。
1週間で「農家になる」と決めた悠介さんの決断、千世子さんに迷いはなかったのか?
「東京を離れ自然のある場所に暮らしたことで、これから先の生き方について、考えるようになっていました。私の家族は農家じゃありません。でも、農業に対して漠然とした憧れがあって……もともと食に対しては興味がありましたし、自分で育てたものを食べられるなんて幸せだなーって。早く田舎で暮らしたくて仕方がなかったです」
「どうやって生きていきたいのか」を自問自答する日々を送っていた千世子さんにとって、悠介さんの決断が、人生の転機となった瞬間だ。
新たな人生のスタート
悠介さんの家族が代々守ってきた田んぼ
農業を継ぐと聞き「嬉しい反面、経済的な面で心配もあった」という悠介さんのお父さん 。農業を継がせる前に、悠介さんに農業研修をすすめた。
「農業高校の先生だったお父さんの教え子のつてで、有機農業をやっている「まごころふれあい農園」を紹介してもらいました。 今住んでいる小川村の村営住宅は、農園のオーナーさんのすすめで決めました」
色々なタイミングが重なり、無事に小川村で生活しながらの農業研修が始まった。
週5勤務の週休2日。週2日の休みは引っ越し屋でアルバイトをし生活費を稼いだ。
「新規農業者に、国からの助成金が出るんですけど、審査に半年かかり農業研修がスタートしてから半年は農業研修生としての収入がありませんでした。休みの日はアルバイト、主人は1カ月まるまる休みがない状態が続きました。だから「頼むから月一で休んで」とお願いし、家族の時間を作っていました」
半年間、バイトのみの収入で不安はなかったのだろうか?
「正直1年目は予想がつかなくて不安もありました」
子育て真っ最中だった千世子さんは、物理的に外に働きに行くことができなかった。
しかし’’手を使った仕事’’をずっとしてきた千世子さんにとって、場所が変わってもできるトレーナーの仕事が救世主になった。自己紹介すると「教えてもらえませんか?」と頼まれ、地域の方に向けてストレッチや施術を行った。
移住前にやりたかったことをイメージして料理をする日々
料理が大好きな千世子さん
もともと、食に興味があった千世子さん。
「小川村の素材を生かしたケーキ作り、農業を軸に野菜を生かした何かをやりたい。お菓子作りも好きだったのでカフェもやりたい。でも現実的に営業許可をとるのも難しいし……でも、いつかやれたらいいな、と思っていました」
日々の子育てに追われながらも、自分のやりたいことをイメージしながら、日々の食事を作っていた千世子さんは、 村の施設を借りて「モンカフェ」という月1度のカフェを開催。自分が作った料理で人が笑顔になるのが嬉しかった。
しかし、コロナの影響で出来なくなってしまう。
夢の実現へ!商品化への第一歩
千世子さんお手製、野沢菜の醤油漬け
モンカフェの変わりにカタチを変えて、何か出来ないか考えていた時、家で作った漬物を知り合いにお裾分けをしてみた。
知人からの反応はよく喜ばれたのが嬉しくて、「野菜の加工品を販売できたらいいな」と、その思いを言葉に出すと、悠介さんにこう言われた。
「実際にやるためにはどうすればいいか考えてみたら?」
「そっか、そうだよね!でも工房とか借りるなら、お金もかかる……」
悠介さんの言葉をきっけに、実際に野菜の加工品を商品化するにはどうしたらいいかを考え、行動にうつした。
「夫の農業研修先で知り合った方が、長野市の加工所を借りて商品を作っている事を聞いていたので、その方に詳しい話を聞いてみることにしました」
実際に施設を見学し、野菜の加工品を作るには、ハードルが高いということが分かった。
「自分のやりたいことで、現実的なのはバウンドケーキ作りだ」と思った千世子さんは、パウンドケーキを販売するために、具体的に動き出す。
ある’’素材’’と運命の出会い
移住した当初、なるべく地域の素材を生かしたい思いが芽生えた。
「小川村で採れた野菜や加工品が販売されている直売所の商品をみて「へぇ~こんなものがあるんだ」と、ひそかに研究をしていました」
手作りの素朴な味が魅力の「おやき」
長野県を代表する郷土料理’’おやき’’は小川村を含む上水内郡西山地域が発祥といわれている。
千世子さんがおやきをはじめて食べた時、野菜の味付けが全部味噌で「素朴なのになんて美味しいの!」と感動したそうだ。
長野県民にとって、味噌はかかせない食品。
おやきを食べた千世子さんの中で「味噌」がキーワードになった。
「小川村から車で30分の主人の実家では、味噌は手作りなんです。だから手作り味噌には馴染みがあって。あと、小川村近辺を散策中に’’味噌あじの焼き菓子’’を発見して、食べてみたらほんのり香る味噌の甘じょっぱさに「ピンっ」ときたんです!」
焼き菓子からヒントを得たちよこさんは、以前から気になっていた地元の食材’’味噌’’をいかしたケーキ作りをひらめきます。
「味噌を生かした、しょっぱくて、美味しい焼き菓子を作りたい」
それから’’味噌の味がしっかり生きて、なおかつ食べやすく美味しい配合’’を目指し、千世子さんの味噌パウドケーキ作りの奮闘がはじまった。
「味噌パウンドケーキのレシピを確立したくて、何回も配合を変えて挑戦しました」
味噌パウンドケーキを作りはじめた時から、商品化することをイメージしていたという。
「1回目作った時に「美味しい、売れるよ!」と言ってくれた人がいて。それからお客様に食べてもらうには?をイメージして作っていましたね」
SNSにあげると販売はしないのか?という問い合わせもくるようになった。買いたい人がでてきたのだ。
加工所の見学をしたこと、味噌パウンドケーキの反応がよかったことがきっかけで、やりたかった事の1つだったパウンドケーキの販売を実現できそうな環境が整った。
地元食材を活かしたこだわりの素材選び
千世子さんお手製の味噌
週に一度、加工所を借りて、味噌パウンドケーキの商品化にこぎつけた。
「地元の食材で作りたい」という思いを持ち続けていた千世子さん、まずはじめに素材選びにこだわった。
「原材料は、なるべく地元産にこだわりました。メイン材料でもある味噌は小川村産の味噌、卵は小川村産の放し飼い卵、小麦粉は国産を使用しています」
材料をどこまでこだわるかを考えたという。
試行錯誤して作られたケーキは3種類。
「 できるだけオーガニック素材にこだわったケーキ作りを目指しています。グルテンフリーを好むお客さんもいるので、米粉のケーキも発案しました。」
一つ一つの素材にこだわった味噌パウンドケーキには、千世子さんのケーキ作りへの情熱と、地元食材を生かしたい、という熱い思いが感じられる。
焦らなくていい、今できることを継続
移住して、家族がもう一人増えた
インタビューの最後に、今後のビジョンを聞いてみた。
「子供もまだ小さいので、下の子が大きくなるまではゆるいペースでやっていく予定です。スタートして5カ月、この1年間は味噌パウンドケーキを商品の軸に試行錯誤しながら、少し変化のあるものや季節の材料を生かしたケーキを作ってみたいですね。将来的にはふるさと納税の商品にできないかな、とも思っています」
2人目の出産後、すぐに夢の実現のために動き出した千世子さん。何事も始めるまでが大変だが、様々なご縁を引き寄せ、持ち前の行動力で味噌パウンドケーキの販売にこぎつけた。
無理せず、できる範囲で、でも着実に大きな夢を実現するために歩んでいる。
やりたい思いを大切に、まずは動き出してみる
焼きたての味噌パウンドケーキ
ずっしりと重い千世子さんの味噌パウンドケーキには、大地の恵みと素材の力強さを感じる。
「甘じょっぱい味噌とキビ砂糖、卵と小麦粉、シンプルな食材の1つ1つをとことんこだわり、優しくてとてもしっかりとした味わいのケーキ」
千世子さんの味噌パウンドケーキを食べて、そう思った。
長野県の味噌は全国的にも有名だが、小川村の西山大豆から作られる味噌は他にはない独特の香りがする。
小川村ならではの食材の魅力に気づき、味噌&ケーキを見事に融合させたアイデアは、子供の頃からお菓子作りが好きだった千世子さんだからこそのヒラメキだ。そう考えると、ちよこさんが大豆の生産が盛んな小川村に移住してきたのは、きっと運命だったに違いない。
東京とは180度違う、自然をすぐそばで感じられる小川村に来て4年目。
自分のやりたい思いを大切に持ち続け、様々なご縁に巡り逢い、味噌パウンドのケーキの商品化を成し遂げたちよこさんの挑戦は、まだ始まったばかりだ。
mon cafe725 情報
小川村のマルシェにて
最後に、インタビューさせていただいた千世子さんから、’’味噌パウンドケーキ’’について、詳しい情報を教えていただいた。
屋号「mon cafe 725」に込めた思い
お茶の時間は、幸せなひとときだ
千世子さんが、屋号の「mon cafe725」に込めた思いは、
’’mon’’はフランス語で「私の」という意味があります。
また私の旧姓は「もんま」で、社会人になってからのあだ名は「もんちゃん」でした。’’mon’’は私自身の名前でもあります。私自身お茶’’cafe’’の時間が大好きです。
味噌パウンドケーキにつめたちよこさんの思い
丁寧に包まれた味噌パウンドケーキ
一つひとつ、丁寧に包装された味噌パウンドケーキには、メッセージも添えられている。
千世子さんのケーキ作りへの愛と情熱を感じる。
一人で、家族や大切な人と、友人と……ほっとするひとときがあると心が癒され、家事や育児、仕事への活力が湧いてきます。この心を癒す時間は人生を豊かにしてくれるとても大切な時間だと思っています。
「mon cafe=私のカフェ」日々の暮らしの中、mon cafe 725のお菓子をお茶のお供に、ホッとするひとときを持つことが出来ますように。
’’味噌パウンドケーキ’’商品情報
砂糖は通常の6割。味噌のこうじの甘さがあるから、あと味がいい
1人1人のお客様を大切に、味噌パウンドケーキを商品化して5カ月。現在は週に1度、加工所を借りて製造している。完全予約制、注文に応じて毎回作る本数もかわる。
村内外のイベントなどにも出店している。
【味噌パウンドケーキの種類】
- 西山大豆味噌
- オーガニック味噌
- 米粉味噌
- プレミアム味噌(ホワイトチョコ入り)
【原材料】
- 味噌:無添加味噌(大豆・米麹・塩)
- 小麦粉:国産有機
- 米粉:国産有機
- もち米:国産有機
- 卵:小川村産放し飼い卵
- 砂糖:キビ糖
- ホワイトチョコ:有機ココアバター・有機シュガー・牧草牛
(ケーキの種類によっても、材料が異なる)
【moncafe725 販売情報】
- インスタグラム:moncafe725
- facebook:伊藤千世子門間
- タイムライン(ラインID):mon725
- メルカリアカウント:moncafe725
製造販売者:伊藤千世子
(マルシェにも時々出店)
実は、我が家の子供達は、千世子さんの’’味噌パウンドケーキ’’が大好き。つい最近は、次女の誕生日ケーキに購入させてもらった。子供も大人も、一度食べると癖になる味だ。
濃厚な味噌の香ばしさが味わえる味噌パウンドケーキ、気になった方はぜひ、moncafe725をのぞいてみてほしい。
きっと、今までに出会ったことのないパウンドケーキに出会えるはずだ。
(写真提供:伊藤千世子さん)
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